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表千家都流とは

表千家都流

利休十哲の一人「荒木道薫」を祖とする歴史ある流派

都流前史

 

 都流は流派として創流したのは大正ですが、遠祖は戦国時代の荒木村重(道薫)までさかのぼります。荒木村重は織田信長に仕えた戦国武将でしたが、突如叛旗を翻し、有岡城の戦い、尼崎城の戦いによって敗れ、毛利氏を頼って落ち延びます。その後、秀吉に仕えお伽衆として茶の湯に邁進しました。この道勲の子で嫡子村次の甥(村次の弟・村勝の子)である克之が熊本藩に仕え、菊池郡に知行地を得て安住します。この一族が現在の家元の出自となります。

大衆のための茶の湯を

 

 都流初代家元は明治時代になって変わってしまう茶道に対して、「大衆に茶の湯を弘める」ために古くからのものを残しておきたいと考えられ、創流されたと聞きおよびます。この時期は伝統的茶文化から近代的茶文化へとの転換期にあたり、三千家も大きく変化していた時代であり、道具のありよう、所作の変化など大きく様変わりしていた時代です。

 庇護者を失った多くの武家茶道が廃れていく中で、荒波のごとく押し寄せる西洋文化中心の生活に埋没していく大衆へ「伝統的な和の文化で、心の余裕を持たせたい」と考えられた流祖は、名物でなくとも茶の湯はできると、敢えて「大衆のための茶の湯」を唱えました。

 四世家元は大正に入って、
当流をお継ぎになられ、正式に流派をお立てになられました。もともとは表千家の中でおやりになられていたものと古くからあるものが出会い、新しい流れとして誕生したということです。

 已後、五世家元が現在まで都流を守ってくださっています。


 

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