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月桑庵

月桑庵の目指す茶「温故知新」
愉しくなければ茶の湯じゃない。堅苦しくない、愉しい茶の湯を目指して。

茶の湯の興り
茶道は男のものだった
心の余裕を茶の湯から

 茶道は同朋衆として足利義政に仕えた中尾真能(なかお さねよし)が式法を定めて体系化された日本独自の伝統文化で、「茶の湯」と呼ばれていました。
 この頃の「茶の湯」は現在「書院の茶」と呼ばれる設えにおいて行われた格式の高いもので、現在の茶道とはかなり趣を異にします。

 現在の茶道の祖は「村田珠光(むらた じゅこう)」で書院の茶に対して草庵の茶を提唱します。
 この流れを発展させたのが「武野紹鴎(たけの じょうおう)」、そして、茶聖「千利休(せんのりきゅう)」です。

 現代では「茶道」というと女性のものというか、女性の花嫁修業ぐらいに思っている方が多いですが、これは大きな誤りです。

 茶道は本来男性が主体のもので、政治の談合や商談、親睦を深めるなどの重要なシーンで用いられたものです。多くの武士は教養として茶道を習い、広まるにつれ大衆化し、商人たちもこぞって茶道を学んでいました。

 しかし、明治維新によって庇護者だった武家政権が崩壊すると茶道は一気に衰退し、女学校の教養の一つとして伝授されるようになりました。そして、男性茶人が減少していきます。

 旦那衆の茶と呼ばれた茶の湯は、近代数奇者が最後であったと言われます。昔は社長業をするなら茶道を習わないのは「教養がない」と言われたものでした。
 現代ではそんなことを言う人はあまりいませんが、生き馬の目を抜く社会では、一服の清涼剤の役割が重要になっていきています。

 月桑庵が目指すものは「旦那衆の茶」の復活と大衆化です。日本独自の形式である茶道という伝統文化を廃れさせず次代に「つなぐ」ために。

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